中村久子さんを知ったのは、8年前の夏。
これまた不思議なもので、ふと訪れた父とご縁のある京都のお寺に参拝した時です。
ちょうどタイミング良く法話の時間に到着し、住職さんからこの本の表紙にある「中村久子」さんの壮絶な人生の生き様をお聞きました。
咄嗟にペンを取り出して、久子さんのお名前を書きとめたのを覚えています。
明治時代、岐阜に生まれた久子さんは、2歳の頃、霜焼けがもとで突発性脱疽という病にかかり、両腕、両足を切断することになってしまいました。
7歳で父親が亡くなり、祖母と母親は、将来、我が子がいずれ一人で生きていく為にそれはそれは鬼の様に厳しく、何でも自分で出来る様に躾をされたそうです。
縫物、洗濯、炊事、読み書き、礼儀作法など…髪結いと後ろ手に帯結び以外は全てマスターされたのです。
それは我が子に対する深い愛情でもありました。
血の滲み出るような努力、並大抵のものではないですね。
久子さんは「生きる」ことに専念されたのです。
何度も心の中で自分の人生、人を恨み、泣き叫んだかもしれません。
私たちの想像を超える程の壮絶な時間を過ごされたと思います。
久子さんは「何度心の中で人を殺したか知れません」と言っています。
心ない人から手を使わず食べているところを見て「犬・猫・畜生だ」と言われたそうです。
どんなに悔しかった辛かったか、私たちの想像を遥かに超える程の苦しみを生きていたと思います。
「人間になる、人間であるためにどう生きればよいのか」。
年頃の娘の最も良い時期に、心の中の増悪と良心の葛藤の日々を過ごされました。
久子さんは見世物小屋で「だるま娘」という芸名で、不自由のない所作を人に見せることを芸として生計を立て、結婚もし、二女にも恵まれました。
かのヘレン・ケラーとの出会いでは「私より不幸な人、私より偉大な人」と称賛を受けたそうです。
「人は自分で生きているのではなく、生かされている、必ず生かされてる道がある」
「人は肉体のみで生きているのではなく、人は心で生きている」
久子さんの存在があってこそ、これらの言葉を今、受け取ることができました。
どんな人でも、生まれてきたことに”意味”があるということ。
また、人は人の生き様、あり様によって気づかされ、学びを与えられるということ。
久子さんによってあらためて教えて頂きました。
伺ったお寺の書籍コーナーで偶然見つけたこの本は、必然の出会いなのかもしれません。
亡き人は、いつまでもこの世に生きる人を見守っているものなんですね!
”心の中に生きている”ということは、こういうことをいうのでしょうかね。
中村久子自伝『こころの手足』(春秋社)、『四肢切断 中村久子先生の一生』(致知出版社)こちらの本も読んでみました。
ぜひ機会がありましたら、読んでみて下さいね。中村久子さんを知るHPはこちらです↓↓↓http://www.nakamura-hisako.co.jp/nakamura_life.html