楽さんのエンタメ語り<番外編> 短編小説01~雑誌の折り目

雑誌の折り目 

 夕希(ゆき)が父親と絶縁して十年。母が亡くなってから十七年になる。その間、兄がたまに送ってくるメール(たいていがグチ)だけで家族と繋がってるようなものだった。だから、その唯一の知らせが、相変わらずギャンブルと酒が止められない父親の知りたくもない近況を伝えるばかりで、はらわたが煮えくりかえるような思いを毎度させられるのだった。

 そんなダメおやじにもいよいよ年貢の納め時が来たようだ。なんとも父親らしいことに、競艇場から救急搬送されたのだ。階段で足を滑らせ落下したらしい。主治医曰く、腰椎骨折で半年以上は入院が必要、さらにリハビリに数ヶ月はかかるという。「いっそのこと死んでくれれば良かったのに。」大好きな賭場で命尽きるなら本望だろう。そう考えてしまうことに罪悪感など全くなかった。

 親父の入院しているこの期間に実家の整理をしたいから手伝え。兄から電話があった。ずっと父親を任せっ放しだった後ろめたさもあり、その頼みを無下にすることはさすがにできなかった。十年ぶりに訪れた実家は、想像よりもきちんとしていた。台所の水切りには、ごはん茶碗と箸が、ぽつんとひと組残されていた。呆然とそんな光景を眺めていると、すーっと涙が頬を伝っていくのを感じ、あまりにも受け容れ難い気持ちに堪らず。「掃除だ掃除!」と声に出しながら。家の窓という窓すべてを全開にして掃除機をかけた。

 書斎に入り、家政婦のような事務的手際で、片づけを進めていた。書籍類を部屋の隅に運んでいると。ひらひらと一枚の千円札が目の前に落ちてきた。何かのページの間に挟まっていたようだ。拾い上げたそのお札には、下手くそな子どもの字で「おかねはだいじです」と書いてあった。封じ込めていた記憶が一気に蘇り。さっきまでの湿っぽいキモチは、砂の上にこぼした水のように、痕跡だけは残しつつ、あっという間にどこかへ消え去った。

 夕希の記憶。あれは小学校低学年の夏休みの出来事だ。その日は給料日だった。父は、会社帰りに寄ったパチンコに給料のほとんどを注ぎ込み、挙句の果てに、行きつけの飲み屋で大暴れし、酔い潰れるという体たらくだった。兄と母が迎えに出ている間、ひとり留守番をしていた夕希は何が起きているのか、不安で仕方なかった。その夜。母がまだ床についていないのに気づいた夕希が階下の居間を覗くと、母は、パートの給料からコツコツ貯めていた現金をいくつかの封筒に分けて入れているところだった。不安げに小さく声をかけた夕希を母は優しく抱き寄せて、「お金は命の次に大事なのよ」と言った。

 夏休み中のある日曜の早朝、まだ両親が寝ていることを確認して、夕希は書斎に忍び込んだ。机の上に粗雑に置かれた父親の財布からお札を抜き出し、赤の色えんぴつで、おかねはだいじです、と書いて、そっと元に戻しておいた。それは夕希なりのささやかな抗議だったのだが、以後もギャンブルと借金で母を苦しめ続ける父親の存在そのものが、夕希のトラウマとなって行った。

 処分しないで欲しいと父親から頼まれ、兄が予め分別していた盆栽専門誌の中に、なぜか気になる折り目を見つけ、ページを開いた。親子盆栽の記事だった。刊行された年を確認すると1987年で、自分が小学二年生の頃だ。薄くなってしまっているが、所々に赤いラインが引かれている。一体どんな想いで折り目をつけたのか? 全く想像もつかなかった。が、となりのページには、子供に盆栽を教えたい、と相談コーナーに投稿していた人の記事が載っていた。わたしとの仲を修復する気持ちが意外にもあったようだ。もしも父親を許すことができていたら。一緒に盆栽を楽しめていたら。何か変わっていただろうか? いやいや、変わるはずもない。ああ馬鹿馬鹿しい。と、片付けを中断し、兄からもらったバイト代で買って来た有名店の牛かつサンドを居間で広げた。

 箱を開くと芳ばしいソースの匂いが漂い食欲をそそられる。真っ白なパン生地に映える淡いピンク色の牛肉。その生々しさとインパクトは強烈で、人によって好みが分かれそうだ。母に限っては、ものごとを良い方にしか考えず、何でも楽しんでしまう性質だから、きっと「何その美味しそうなの!」と喜んで飛びつくだろう。そんな姿が容易に想像できて、ひとりニヤけてしまう。ひと切れ仏壇に供え、お金は命の次だもんね。兄貴もバカ親父も私も相変わらずだけど、まだまだ生き続けそうだよ。笑顔のままの母に語りかけた。